以前の記事でもすこしだけ触れた、日本画家・千住博さん。彼のことばは怖いほど説得力があり、絵描きの在り方を鋭い目線で語ります。絵描きとして、それに感嘆したり、気付かされたり、言い当てられたり、えぐられたり。
軽い気持ちでほいほいと読めるものではないのですが、絵描きの思考土台には欠かせないことばばかりです。
日本画家と聞けば、イラストとは遠い世界に感じるかもしれませんが、決してそんなことはありません。日本画もイラストも同じ「描く」ことから生まれる作品です。その「描く」ことにスポットを当てた、巨匠のエッセンスが満載な『千住博の美術の授業 絵を描く悦び 』。今回はなかでもとくに心動かされた名言を少しだけ紹介します。
世界観

絵は、憧れを描くものです。
わあ、いいな、と思える風景、素敵な人物、美味しそうな果物、そこには人々の夢があふれています。
夜の不思議、朝のまぶしさ、昼のけだるさ、そして夕方の切なさ――。
自分が憧れる世界を最初からイメージしながら、自分の絶対の近道を手掛かりに丁寧に描いていくことが大事なのです。
千住さんの本には「自分の世界」という言葉がよく出てきます。感動や憧れを集めて、煮詰めて「こうゆう絵を描きたい」という世界観を常にもっておくこと、それを広げていくこと。それが絵を描くために大切だと一貫して主張します。
千住さん自身は、多くの「滝の絵」で知られています。きっと滝が千住さんの心を大きく震わし、その世界を表したのでしょう。
あなたが絵に描きたいとおもう憧れは、どのような世界でしょうか。一時的な感情のかたまりではなく、ずっと手放せない憧れを描く。これが千住さんの絵描きスタイルであり、わたしの思う『絵描きの理想』でもあります。
余白について

余白として空間を大事に扱ったというのではなく、興味がないと思って置いてあるだけの空間は、作品の味方にはなってくれません。作品もまた作者の意図に対し「興味ないよ」とそっぽを向いてしまっている……。それどころか塗り残しの白い部分がむしろ敵にまわってしまうのです。
余白・空白に頼った絵――むしろ描いたことがない絵描きのほうがほんのごくわずかでしょう。
画面上に白を残しておくにしても、それを「いらない部分」として扱うか、「白い空間」として扱うか。その間には大きな壁があります。
巨匠たちの扱う余白は、もちろん後者です。そんな余白は、千住さんいわく「切れば血の出るような、深々としたやわらかさに満ちている」とのこと。そんな、言葉を聞くだけでうっとりするような余白、いつかは描いてみたいものです。
ひとを描く

まずは一人を描いてみることです。同じ人物の中の、髪の色、髪型、服との組み合わせ、靴。それが似合っているのかいないのか。好きで着ているのかどうなのか。あまり好きと思っていなくて着ているのか。座っている椅子はどういう感じなのか。座りやすいのか、そうでないのか。愛情を持って観察してみましょう。
千住さんの価値観のうち、もっとも取り入れたいのが「関係を描く」というスタイルです。「その人と持ち物の関係」、「まわりの空気とりんごの関係」「2人の人間の関係」、それらをすべて画面上に表現していくのです。
ただ持っている、ただ置いてある、ただ立っている―――そんな「関係」のない絵は、さみしいものになってしまいます。
まとめ
千住さんの言葉は鋭いです。わたし自身、読んでいて何度かえぐられてしまいました。良薬は口に苦しです。
しかし、かといって突き放すでもなく、絵を描くひとへ「がんばれよ」と背中を押すような優しさにあふれている不思議な文章です。
日本画家ときけば堅苦しい、と感じる方もいるかもしれませんが、それで敬遠してしまうのはもったいない。絵(イラストもふくめ)を描くうえでの、ものの見方、価値観など考え方。それに関してはもっともわかりやすく、かつ多くを教えてくれる最高の教科書でした。
参考書籍