こんにちは。
絵心浪漫に来てくださって、まことにありがとうございます。
本記事は、管理人がいち絵描きとして思っていることをつらつらと、だらだらと、取り留めもなく描いていくつもりです。
じつは、「絵心浪漫」にはお蔵入り記事がけっこうあります。
綺麗にまとめることができなかったり、記事にするほど内容がなかったり、といろいろな理由で外に出してあげられない記事があります。
今回、コラムというかたちを初めてとったのですが、こういった記事たちでも、きれいにまとめることができずとも、そうゆうコーナーとしてなら、許されるのではないか・・・と思っての執筆です。
「見出し」も「まとめ」もなく、唐突に始まって唐突に終わります。
もしも、「他の記事とまざって見にくい!」とご意見があれば、今回限りとするかもしれません。
さて、絵心浪漫の記事は、どれも例外なく同じですが、あくまで1人の絵描きの主観によってできています。
ここに書いてあることは、当たり前ですが正解ではありません。
あくまでただのひとつの考え方です。
改めまして、そのことを念頭に置いていただいて、みていただければ嬉しいです。
それでは、今回だらだらしゃべっていきたいテーマは、「絵を見ること」についてです。
わたしは絵をみることが好きです。
まあ嫌いな人はこのページをそもそも読んでいないでしょうから、きっと、あなたも好きなはずですよね。
すこし自賛的な言いかたになりますが、やはり絵を描いてる人には、描いていない人には見えない楽しみがあると思っています。
「周辺の彩度を落として、目立たせているな」とか、「ここの影にピンクをつかってるな」など、技法的な目で楽しめる。
今はインターネットのおかげで、お金を払わず、たくさんの素晴らしい作品がみれます。
これはありがたいことだし、大変うれしいことです。
ただ個人的には、技術としてなにかを盗みたいなら、ある程度はお金をかけるべきだと思ってます。
「お金を払ったんだから、元をとろう!」という気持ちがはたらくし、すてきな作品を作ってくれた先人への感謝を、文字通りかたちにできる。
画面上で見るのもいいけれど、紙で見ると不思議と新しい発見もあったりします。
絵描きにとって、絵を見るって行為は、楽しみがつまってるだけでなく、技術もモチベーションも刺激してくれる、栄養ドリンクみたいなものです。