コラム1:絵を見ることについて。

こんにちは。

絵心浪漫に来てくださって、まことにありがとうございます。

 

本記事は、管理人がいち絵描きとして思っていることをつらつらと、だらだらと、取り留めもなく描いていくつもりです。

じつは、「絵心浪漫」にはお蔵入り記事がけっこうあります。

綺麗にまとめることができなかったり、記事にするほど内容がなかったり、といろいろな理由で外に出してあげられない記事があります。

 

今回、コラムというかたちを初めてとったのですが、こういった記事たちでも、きれいにまとめることができずとも、そうゆうコーナーとしてなら、許されるのではないか・・・と思っての執筆です。

「見出し」も「まとめ」もなく、唐突に始まって唐突に終わります。

もしも、「他の記事とまざって見にくい!」とご意見があれば、今回限りとするかもしれません。

 

さて、絵心浪漫の記事は、どれも例外なく同じですが、あくまで1人の絵描きの主観によってできています。

ここに書いてあることは、当たり前ですが正解ではありません。

あくまでただのひとつの考え方です。

 

改めまして、そのことを念頭に置いていただいて、みていただければ嬉しいです。

 

それでは、今回だらだらしゃべっていきたいテーマは、「絵を見ること」についてです。

わたしは絵をみることが好きです。

まあ嫌いな人はこのページをそもそも読んでいないでしょうから、きっと、あなたも好きなはずですよね。

 

すこし自賛的な言いかたになりますが、やはり絵を描いてる人には、描いていない人には見えない楽しみがあると思っています。

「周辺の彩度を落として、目立たせているな」とか、「ここの影にピンクをつかってるな」など、技法的な目で楽しめる。

 

今はインターネットのおかげで、お金を払わず、たくさんの素晴らしい作品がみれます。

これはありがたいことだし、大変うれしいことです。

 

ただ個人的には、技術としてなにかを盗みたいなら、ある程度はお金をかけるべきだと思ってます。

「お金を払ったんだから、元をとろう!」という気持ちがはたらくし、すてきな作品を作ってくれた先人への感謝を、文字通りかたちにできる。

 

画面上で見るのもいいけれど、紙で見ると不思議と新しい発見もあったりします。

絵描きにとって、絵を見るって行為は、楽しみがつまってるだけでなく、技術もモチベーションも刺激してくれる、栄養ドリンクみたいなものです。